抱一の代表作


☆「風神雷神図屏風」 〜琳派の神々〜
 (宗達(国宝):建仁寺、光琳(重要文化財):東京国立博物館、抱一:出光美術館)


 私淑によって受け継がれた琳派の系譜を代表する作品として、最も有名な絵画が「風神雷神図屏風」です。元々は俵屋宗達作(国宝)のこの屏風絵は、後には光琳がこれを模写(重文)、更に光琳の模写を抱一が模写しています。(以下、鈴木其一などもしばしばこの画題を描きました) のみならず、光琳はこの影響から後に代表作「紅白梅図屏風」(国宝)を生み出したと言われ(「紅白梅図」から中央の黒い流れを除くと、紅梅白梅の構図が風神雷神に非常に似ています)、また抱一は光琳模写の「風神雷神図屏風」(重文)の裏絵として、これも彼の代表作「夏秋草図屏風」(重文)を描きました。宗達から始まった風神雷神図は、彼の後に続いた琳派の画家たちがそれぞれの解釈から新たな世界を生み出すきっかけともなった、琳派の中でも一際重要なモチーフであり、「琳派伝説」の源とも言われる(玉蟲敏子)記念碑的作品です。


☆「夏秋草図屏風」 〜亡き人への追慕〜
 (重要文化財・東京国立博物館、下絵:出光美術館)


 光琳が天を翔ける風神雷神を紅梅白梅と昏い水の流れに変貌させて「紅白梅図屏風」を完成させたように、抱一は明るい金地に朗らかな神々の舞う天の世界の裏に憂愁漂う銀地の地上の草花を描きました。雷神の裏には雨に打たれる夏草、風神の裏には風に吹かれる秋草を対比させ、さらに陽光の黄金を月下の白銀に変えた「夏秋草図屏風」は、琳派の後継者を自負する抱一が偉大な先達光琳への時を越えて挑んだ合作であると同時に、また隔世の師に対する深い追慕の念をこめた作品でもあったのでしょう。
 遥か平安の王朝文化を思わせる豊かな叙情性と品格の中に、薄墨に煙る淋しげな銀地とあえかな草花で亡き人(=光琳?)を偲ぶ追憶の想いを暗示させた抱一は、ここに彼独自の典雅と哀切の世界を完成させました。宗達も光琳も描かなかった「風」「雨」「月光」という幽遠の情景を見事に描ききったこの作品は、光琳作「風神雷神図」の裏屏風として琳派の系譜を象徴するのみならず、円熟期の抱一最高傑作として現在も高い評価を受けています。

 ところでこの作品には、ほぼ原寸大の下絵がやはり屏風として現存しています。さらに裏面には元々包袋であったと思われる文書があり、依頼者は一橋一位殿(一橋治済、11代将軍家斉の父)、完成年は文政4年(1821)、そして「光琳筆 表 雷神 風神」に対し「裏 夏艸雨 秋艸風」を銀地に描いた作品であったこと等が、抱一本人の直筆により記されていました。これほど制作背景の情報が豊富に残っている例は非常に貴重で、雷神に夏草と雨、風神に秋草と風という配置を抱一がはっきり意図していたことも裏付けられました。

 なお、光琳の「風神雷神図」と抱一の「夏秋草図」は保存のため1974年に別々の屏風として切り離されてしまいましたが、1999年の東博特別展「金と銀」で久々に本来の姿どおり表裏一体に並べて展示されたことが話題を呼びました。私もこの時初めて「裏屏風」としての「夏秋草図」を見ることができ大感激でしたが、その後なかなかこうした機会に恵まれないのは非常に残念で、ぜひいつかまた実現してほしいです。


☆「紅白梅図屏風」 〜月光に薫る梅花〜
 (出光美術館)


 同名の光琳による豪華絢爛な金屏風とは異なり、冴えた月の光のような銀箔を背景にほっそりと立つ紅梅白梅の樹は、「春の夜の闇はあやなし梅の花…」という有名な古歌を思わせて、冷ややかな静けさの中にもほのかに薫る花の香さえ感じさせる叙情性に満ちています。元々は「夏秋草図屏風」同様に何かの屏風の裏絵であったらしいことが判明していますが、この屏風は果たしてどんな絵と対で描かれたものだったのでしょうか。銀屏風をとりわけ好み得意とした抱一の作品の中でも、この「紅白梅図屏風」は「波図屏風」と並んで銀箔の澄んだ美しい輝きを殆ど損なうことなく留めており、抱一らしい瀟洒な魅力をたたえた佳品です。

※なお、抱一の作品には何故か、銀屏風の宿命とも言える銀焼け(表面の成分が空気中の硫黄により化学変化を起こして黒ずむこと)を起こしたものが殆どありません。(特に「波図屏風」は現在でも感動的に美しい銀地です) その原因は今のところ解明されていないようですが、弟子の其一にさえ伝えられなかった(以前其一作の某銀屏風を見ましたが、見事に真っ黒だった…)何か特別な彼だけの技術があったのでしょうか?


☆「十二か月花鳥図」 〜繊細な四季の草花〜
 (宮内庁三の丸尚蔵館他)


 これも抱一得意のモチーフのひとつで、基準作として特に知られた優品である宮内庁所蔵の連作の他にも、よく似た絵柄のものが数組存在しています。(出光美術館、畠山記念館、プライス・コレクション他) 十二か月それぞれの情景を草花と動物を組み合わせて掛け軸に描いており(一月:「梅椿に鴬」、二月:「菜の花に雲雀」、三月:「桜に雉子」など)、余白を生かしながら優美な線で描かれた植物は琳派特有のたらし込みを用いつつも、やはり光琳風の大胆な華麗さよりもむしろ円山四条派の落ち着いた品格の高い風情に近い世界と言えるでしょう。若冲の画風にも学んだらしい抱一の描く生き物たちは、博物学的な若冲や高弟鈴木其一のクールな描写に比べて理想化されたタッチがリアルさにはやや欠ける面もありますが、丁寧に描きこまれた愛らしい鳥や小さな虫たちの姿には、それを見つめる作者のいとおしむようなやさしいまなざしが感じられます。


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